人生は、「なんでもない日々」が試練となる。

都会の片隅で、自分らしく生きようとふわふわしているOLのブログ。

意識に刷り込まれたもの

http://www.huffingtonpost.jp/2016/09/27/unagi-lady_n_12224274.html?ncid=engmodushpmg00000006

 

志布志市の「うな子」。

フラットでなくてはならない自治体が、ふるさと納税という(主な企業の商品CMと違って)広告ターゲットを全く絞らないはずのPR動画で、児童ポルノを想起させ、女性は「飼育」する必要のある下等なものと蔑視するような表現をしたこと。

「差別的な意図はない」「一部に不快な思いをさせた」「うなぎへの風評被害がおきる」という逆ギレ的なコメントで公開をやめたこと。

 

わたしたちひとりひとりの意識に、「男はこうあるべき」「女とはこういうものだ」という性別役割分業的なものの見方が、ものすごく濃ゆくこびりついているのだなぁ…と改めて実感した。

 

「女性は花嫁候補」時代は遠く 後輩が学んだ均等法前夜の暗黒 http://www.j-cast.com/kaisha/2016/09/28278931.html

 

均等法前の女は寿退社するもの、という価値観の中で生活してきた世代は、なおのこと「女とは」「男とは」への固執が根深いんだろう。

「うな子」の責任者もそうなんだろうな。

 

「女の子」は大切なもの。守ってあげるもの。男が養ってあげるもの。

うちのうなぎは女の子を扱うように大切に育てているから美味しいよ…

 

そういう思考になるのはまあわかる。でもまあ養って食べちゃうぞ、って文脈はポルノ感あるよね…。児童ポルノは、絶対にダメだ。

 

でも男性がそういう見方をしがちな一方で、女性もまた同じくそういう見られ方をすることに慣れてしまっても、いると思う。

 

奢ってくれない男なんて、デートは男がエスコートすべき、俺が一生守ってやるってプロポーズされたい…

 

みたいな。

でもそれでいいの?あなたの主体性なくね?

 

世の中が定義する男とは、女とは、のカタにハマらなきゃいけないのって息苦しくないですかね。

わたしは最近までそのカタの中で居心地の悪い思いしていたけど、ふとしたきっかけで女だからとかじゃなくて「自分は自分」でいいよねーって気付けて、だいぶ楽になった。

 

この意識が世の中全体として変わるのは相当困難なんだろうな。小さい頃から、「女の子らしくしなさい」「男なんだから泣かないの!」とかやってるもんな…

 

どうしたらいいんだろうねぇ…

世の中のいろいろを考えれば考えるほど暗い気持ちになって、せめて自分の周りだけは明るくしよう…って思って終わるパターン。