人生は、「なんでもない日々」が試練となる。

都会の片隅で、自分らしく生きようとふわふわしているOLのブログ。

けっこんしても

けっこんしても、次はこどもができるかどうか、という悩みになるらしい。

 

周囲ではけっこんする人も増えてきて、出産の報告もぼちぼち聞こえてきた。そのなかで、けっこんはしたけどまだこどもはいない、という人も当然いる。

ただ、それご積極的にこどもを望んでいないわけではなく、たまたま巡り合ってない場合だと、周りを見て焦ったり不安になったりするんだって。

 

そうだよね。だって、わたしたち女の幸せって、好きな人とけっこんして、可愛いこどもを産んで、幸せな家庭を築くことだもんね。

 

そんな友達をみていて、ある意味ホッとした。わたしたちは、良くも悪くも、何か既成概念にしばられている。幸せ、を誰かのモノサシで考えることが、当たり前になってしまっている。

 

けっこんは、何かのゴールじゃない。

そして当然、こどもに恵まれること、出産することも、ゴールではない。

たぶん、、、こどもが20歳になっても、自分が80

歳になっても、ゴールなんてないんだろう。

 

 

人生は、「なんでもない日々」が試練である。

 

 

けっこん、とか出産は長い人生の中での、ハイライトであることは間違いないのでしょう。

でも人生は長い。そして様々な彩りにあふれている。幸せは自分が決める。

 

けっこんもしたい。こどもも欲しい。家族と暮らしたい。

それは、わたしが、わたしの人生の中で選んだ愛の課題。だから、自分のペースで、向き合っていけばよいのだ。

 

 

人生は、「なんでもない日々」が試練である。

 

 

アドラーの言葉を胸に、デコボコした茨の道を歩いていこう。

まっすぐ平坦な道より、歩きなさいと言われた道より、

自分が歩きたいと思って、四苦八苦しながらでも、前を見て歩く道のほうが、ワクワクしながら歩けるだろうから。